あることないこと

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2015年の夏の始まり

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なんてことはない田舎者の憧れで、5月末に岩手から東京に引っ越してきた。慣れない仕事となれない生活は慣れないままで、でもとりあえずは2ヶ月が経った。その間に聴きそびれてしまっていた音楽も溜まっていて、フジファブリックもその中のひとつだった。先日これをようやく聴いたら、そういえばもう夏になっていたんだなって、忘れていた季節の感覚を唐突に思い出した。私が思い描く夏ってこの曲のような感じ。というか、フジファブリックは夏の思い出のようなバンドだなと思った。


東京に来てからわりと最近まで、休日すらどこに行っても心から楽しめている感覚にはなれず、これはヤバいなと思う日々が続いた。でも先日、なんとなく通勤の定期券内にある後楽園駅で降りてみて、東京ドームの屋根が見えたら、ふっと気分が上向いて救われたような気になった。私の中では東京ドーム=1年前のバンプのライブの記憶としてまだ残っていて、それが蘇えったみたいだった。住み始めた場所からそれほど遠くない所に、そんなスポットがあってよかった。よかったと、それはわりと本当に、心から思った。

餞別をくれた父がいて、メールや荷物を送ってくれる母がいて、LINEやメッセージをくれるし、なんなら東京に遊びに来たタイミングですでに私と会ってくれた友達もいる。そんな人たちと一緒に、あとはやっぱり音楽がなかったら、私は生きていけないと思う。


ある友達とは、私たちがよく聴く類の音楽に自分たちは毒されている部分もあるよね、といった話をしたことがある。それとは別に、音楽を薬みたいに使うなと言う人がいることも知っている。前者は本当にそうだと思うし、後者の言い分も理解はできる。でも、情けないかな、私はそんなに強くなれそうもないんだな。これからも音楽に寄りかかって、お世話になって、生きていくんだと思う。

好きだ好きだと言いながら、自分は「音楽が好き」なのではなくて、「好きな音楽がいくつかある」だけなのだろうなと考えることがある。でも、音楽が気付かせてくれることがある。音楽で思い出になった場所がある。現実を忘れさせてくれる音がある。現実に向き合う力をくれる歌もある。音楽が繋げてくれた人もいる。だからやっぱり、自分は自分なりに、ちゃんと音楽が好きなんだと思うのね。

なんでこんな事を書いたかというと、このツイートを見かけたから。

 

音楽が好きか、たいして好きじゃないのかって、音と歌詞のそれだけで語れるものなのかな、と思ったから。

 

 

ASIAN KUNG-FU GENERATION 『Wonder Future』 への予感


www.cinra.net


私は、バンプバンプのやり方で大人になったアルバムが、昨年の『RAY』だったと思っている 。そしてアジカンのそれが、来る次のアルバム『Wonder Future』なんだろうなと、このインタ ビューを読んで思った。「大人になる」とは、単なる成長でも変化でも達観でもない、うまく言い表せない感覚なんだけど。


正直、私は前回のアルバム以来、アジカンと少し距離を置いてしまっていた。けど、今度のアルバムでまた歩み寄れるんじゃないかって気がしている。それは、まだインタビューを読む限りでしか言えないけど、ゴッチでやることとアジカンでやることとの棲み分けを、今作で確立してくれたからだと思う。『ランドマーク』の頃は恐らくそれらが一緒くたになっていて、自分には少し難しかったんだ。悲しいかな、私はどちらかといえば、アジカンを待っていたんだな、なんて思っている。

 


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言葉が宿るところ - SAKEROCK「SAYONARA」

SAKEROCKのラストアルバム、最後の曲。そこはやっぱり、湿っぽい余韻が残るかと思いきや、曲はあらぬ方向に展開していく。あらぬというと語弊があるか。最後だけど、最後という情報を耳にする前のような、いつも通りのどこか千鳥足なSAKEROCKの音楽。

途中から唐突に始まる、ラララの歌声にドキリとする。何かを表現するものとして、言葉は歌には敵わないし、同じくどんな楽器の音色も、人の歌声には敵わないと思う。歌の中で言葉を尽くしたあとに挿入されるスキャットが、歌詞以上にものを語って聞こえることがあるように、この曲では5人の楽器の音では語り切れなかった思いが、ラララの歌声から溢れてこぼれ出ているような気がする。言葉や音からはみ出たものは、歌声になる。

夜が明けて、空、というかカメラを見上げたら、PVは終わる。SAYONARAはちゃんと、次が始まる予感を連れてくる。アルバムはこれから聴きます。楽しみ。