あることないこと

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言葉が宿るところ - SAKEROCK「SAYONARA」

SAKEROCKのラストアルバム、最後の曲。そこはやっぱり、湿っぽい余韻が残るかと思いきや、曲はあらぬ方向に展開していく。あらぬというと語弊があるか。最後だけど、最後という情報を耳にする前のような、いつも通りのどこか千鳥足なSAKEROCKの音楽。

途中から唐突に始まる、ラララの歌声にドキリとする。何かを表現するものとして、言葉は歌には敵わないし、同じくどんな楽器の音色も、人の歌声には敵わないと思う。歌の中で言葉を尽くしたあとに挿入されるスキャットが、歌詞以上にものを語って聞こえることがあるように、この曲では5人の楽器の音では語り切れなかった思いが、ラララの歌声から溢れてこぼれ出ているような気がする。言葉や音からはみ出たものは、歌声になる。

夜が明けて、空、というかカメラを見上げたら、PVは終わる。SAYONARAはちゃんと、次が始まる予感を連れてくる。アルバムはこれから聴きます。楽しみ。

BIGMAMA『The Vanishing Bride』

久しぶりの更新!汗
年始に再確認したばかりの「私がものを書く目的」みたいなことを放棄しつつある現状(いちいち書くより黙って見聞きしていたい思考停止期間でした)を打破すべく、最近聴いたものから1枚、久しぶりに書きます。BIGMAMAのアルバム『The Vanishing Bride』。

The Vanishing Bride (通常盤)

The Vanishing Bride (通常盤)


私がBIGMAMAをアルバムを通して初めてちゃんと聴いたのは、ロックとクラシックの融合をコンセプトにしたアルバムの第2弾『Roclassick2』が出た時。その中にチャイコフスキーの「白鳥の湖」を基にした「Swan Song」という曲があり、元オーボエ吹きの身としては聴いてみたいと思ってレンタルしたのでした。「白鳥の湖」のあの有名なフレーズはオーボエが吹いていますゆえ。

そんな理由で聴いた自分が悪いのは分かっているんですけど、これ以降BIGMAMAの他のアルバムに手を出すことはありませんでした。なぜかというと、曲を聴くまでもなくですが、当然「Swan Song」でオーボエの音は鳴っていないわけです。だってそもそもメンバーにオーボエなんて居ないし。その音を期待していたわけでもなかったんですけど、なんとなく「バンドにバイオリンが居るからクラシックだ!っていう考え方は短絡的じゃないかしら」と思ってしまって。いま思うと、なんだその変なプライドはって話なのですが…。


それが覆ったのが、この『The Vanishing Bride』の発売日。その日は仙台に用事があって、その帰りに仙台駅前パルコのタワレコに寄りました。この新譜あった、あれも忘れてた、とグルグル店内を回っているうちにストアプレイの楽曲が切り替わって、聞こえてきたのが「Sweet Dreams」。可愛らしいピアノと綺麗なストリングスの音に始まり、駆ける馬の蹄の音のようなビート感が強調される。ボーカルに厚いコーラスが重なる。ああ、なんかいい曲だ、私の好きなやつだと思って耳を傾ける。2コーラス目でやっと<sweet dreams>という言葉が聞こえてきて、そこでやっと、これBIGMAMAだ!と気付く。あれ、こんな曲を歌っていたんだ。


ストアプレイは引き続き『The Vanising Bride』からあと2曲ほど流していて、どの曲だったかを実は覚えていないのですが(笑)、その曲たちも驚くほどスコーンと頭に入ってくるものでした。2度目の「Sweet Dreams」が流れ出した時点で、やっぱりこれは、と思ってアルバムを手にしてみます。『Roclassick2』の中でお気に入りだった「Royalize」が収録されていたことにも背中を押されて、晴れてお持ち帰りとなりました。

イントロダクション的なアルバムタイトル曲に始まり、「Flameout」でガツンと掴んでから「Sweet Dreams (bittersweet)」〜「A KITE」までの流れがとってもいい。この「A KITE」=赤い糸 を歌った曲も、幸福感あふれる曲でとても好きです。特に<a kite 辿ると>とメンバーがコーラスを重ねる箇所にはピンポイントでグッときました。人の声ってやっぱりどんな楽器の音色よりも強い。

こういう希望しかないような世界観の歌に少し前の自分なら面喰っていたはず。ですが、何より楽曲そのものが、こちらが拒否しようにも浸透してきてしまうくらいの普遍性、ポップネスを携えていて気持ちいいのです。そういう、バンドの色を見せるだけではなくなった、リスナーの方をしっかり見ている楽曲が最後まで並んでいて、そんな曲たちを繰り返し聴いているうちに、言葉や詞の世界観も自然と体に馴染んでいく。音でしっかり巻き込む力のあるアルバムだと思いました。

言葉に限らず、曲そのものに関しても同じようなことがあって。不思議なことには、前述の「Swan Song」もこのアルバムの中では違和感も拒否反応もなくスッと聴けたのです。シングルで既存の楽曲が、アルバムの並びに位置して聴こえ方が変わる、みたいな、アルバムマジックというのはやっぱりあるもので、面白い。

『Roclassick2』では「Royalize」が気に入っていたとも書きました。“Royalize”は造語で“国家化する”の意味を持たせたという話は、彼らのインタビュー記事で読んだことがあります。二人だけの国を作る、二人の世界に堕ちていく。その国家の様を、<迷宮のように複雑で 矛盾一つで崩れ落ちてく>と歌うこの曲は、楽曲そのものが変拍子で複雑に構成されています。変拍子の心地よさに惹かれて何とはなしに聴いていた曲に、歌詞の世界観とのリンク、構成の必然性があったのだと気付いたのは、『The Vanishing Bride』を何度か聴いてからでした。

やはり、一度音で撃ち抜かれて以来、歌も自然に頭の中に入ってくるようになったのかなと思います。しばらくは『The Vanishing Bride』ヘビロテ決定ですが、それまでのアルバムを遡って聴いてみる楽しみも私にはあるので、BIGMAMA、ゆっくり聴いていきたいと思います。ライブも観に行きたいです。きっといい光景。

KANA-BOON 『TIME』

等身大で痛快。作曲やアレンジ段階の試行錯誤はもちろんあったでしょうけど、自分たちの気持ち良いポイントに忠実に、赴くままの音が鳴らされているような清々しさ。こんなアルバムを聴いたら、こちらだって批評やレビューなんて格好つけてはいられない。素直に率直に感想を言いたくなります。感動しました。大感動でした。なんだかもうそれだけでいい気がするけど、もう少し書けたらいいな。


正直に言うと、私はこれまでKANA-BOONを「好き」とか「カッコいい」とかの感情で聴くよりも先に、どこか彼らを外野から応援するような面持ちというか、ともすると勝手な上から目線で聴いていたのかも知れません。聴くたびに「いけーっ!」と言いたくなる感覚は、清々しく気持ちよい彼らの音楽性に対する思いのみならず、その言葉どおりバンドに対する「まだまだ行けるだろう、こんなもんじゃないだろう」という期待の表れだったのだと思います。

ところが『TIME』を一聴し終えた時に真っ先に思ったのは、何だかバンドのことを分かっているような上から目線の期待値よりも、もうずっと上を、遥か先を、KANA-BOONは走っていたんだということ。彼らに対する風当たりはとても強いけれど、外からの評価や位置づけは冒頭2曲「タイムアウト」「LOL」で早々に蹴散らして、そこから非常にパーソナルな部分も曝け出しながらエモーションを高めて最後の曲まで駆け抜けていく様は、本当に大きな感動をくれるものでした。

私が応援しようなんて、そんなそんな。きっとこれからの私は彼らの音楽に奮い立たせられたり励まされたりしていくのだと思います。というか、最初の一聴でもらった感動がすでにそういう類のもので。忘れたフリをしていた心の内の大事なものを引っ張り出すような力のある音楽で。そんな心揺さぶられる体験の頂点が個人的には「シルエット」にあるのですが、その訴求力を減速させることなくもう2曲、あと2段、階段を駆け上がるラストスパートは、ちょっと本当に言葉で表し難いけど痛快かつ感動的。


ラストナンバー「パレード」の<パレードの先頭を走れ>とは、KANA-BOONの今と意志を象徴する1節だと思います。彼らはとっくに、自分らが応援されるだけでなくシーンを牽引する役割を担い始めた状況を理解しているし、その現在地に満足することなく走り続けているのだと。批判に対する意地をも歌いながら、捻くれもせず自分たちらしい音を鳴らし、最後にこの1節が置いてある、その力強さたるや。私はその意志を信じたいと思います。


TIME

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