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あることないこと

140文字以上はこっちで

白鳥は運ぶわ 当たり前を変えながら

新年も3日目。あけましておめでとうございます。
一昨年から自分の生活が変化したこともあり、ここに書く本数もだいぶ減ってしまいました(昨年は短いの2本って…)。書き物に限らず、言葉への苦手意識はいまだに消えません。それでもまだ、隣に居る人たちに伝えたいわけでもないし、特に誰かに宛てたいわけでもないけれど、自分にとってはとても意味を持つような物事を見たり聞いたりした時には、それについて何処かの誰かに吐き出したい気持ちがむくむくと立ち上がってくることがあって。そういう時に、心と頭の交通整理がてら今年も書いていけたらと思っています。2017年もどうぞよろしくお願い致します。

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正月から書いているということは今むくむくしていることがあるということで。それは、先日のNHK紅白歌合戦を観ながら振り返っていた、2016年の音楽についてのこと。

私にとって2016年は、自分がずっと好きで大切に聴いてきた音楽を、これまでよりも多くの人と一緒に共有していた感触のある年だった。それも、出がけのアーティストが一つ大きなステージにステップアップするくらいの規模ではなくて、すでに力を持って広いコミュニティを築いてきた人たちがその域すら越えて世間事になっていくような、それほどの規模感の。言ってしまえば、好きな音楽が「ヒットした」ということだった。

紅白出場を共通点として挙げると(そう括らずとも2016年はこの方たちだと思っていたけれど、軒並み全員の出場が発表された時はやっぱりとても嬉しかった)、椎名林檎RADWIMPS星野源だった。1年ずれるけれどBUMP OF CHICKENも加えたい。

・林檎さんの知名度はもとよりお茶の間規模だろうし、特定の楽曲がヒットしたわけではないけれど、リオオリンピック・パラリンピック閉会式の引き継ぎ式で見せた演出力と共闘した人たちが生み出したステージングに、改めて感嘆した人、椎名林檎の存在感を意識した人は多かったんじゃないかと思う。6年ぶりに復帰した宇多田ヒカルや解散に向かうSMAPとの競演も経て、紅白。「青春の瞬き - FROM NEO TOKYO 2016 -」と銘打って、4年前の閏日に解散したはずの東京事変がそこに居て。演奏していた時刻が20:16~20:20頃だったことは後で知ったけれど、それを知るまでもなく、見据えていたのは明らかに2020年の東京だった。どこまでが偶然でどこからが狙い通りなんだろう…。完全犯罪の遂行を目撃したような気分。今年もお見事、鮮やかだった。


椎名林檎 - 青春の瞬き


RADWIMPSは言わずもがな。映画「君の名は。」にあてた音楽は、それに物語が影響されてしまうほど作品の中枢を担っていた。個人的にそれと交わる別軸があるように思われるのは、メンバーの病気による休養をどうバンドとしてどう乗り越えようとしているかという、バンド自体の物語までも感じられてしまうから。2015年のツアーから続くツインドラム体制は、紅白でも同じだった。何かを振り切るような、突き抜けるようなパフォーマンスで本当によかった(ホームではない場所で会心の一撃を決めたような演奏を見ると、テレビの前で「よしっ」てガッツポーズしたくなる)。ドラムが2人というその体制は、なんとなくだけれど、休養中のメンバー、ドラム山口さんへの信頼の大きさの表れなんじゃないかと思っている。


前前前世 [original ver.] RADWIMPS MV


星野源もそう。「恋」を交点に、横に「逃げるは恥だが役に立つ」の物語(恋ダンス現象もかな)が、縦には音楽家としての星野源が軸としてあるように思う。その縦軸について、ひとつだけ。「恋」には、もはや星野源と言えばお馴染みと言える、良い意味で狂っているというか愛嬌があるストリングスやマリンバが入っているのと一緒に、新しく“二胡”が特徴的に鳴っている。だけど、源さんがSAKEROCKで最初に作った「慰安旅行」という曲のデモで主メロを担っていたのが二胡だったりして、実はミュージシャン人生の始まりの頃にはすでに鳴っていた音や空気を「恋」に持ち込めたのだと。自分のこれまでと、この先向かっていく未来も全部持って今この曲を作っている、というイメージがあったと。ドラマの芯になった歌として、源さん自身の歌として、そんな物語を知らない人にだって届く浸透力や親近感あるポップネスさえ持って、「恋」が色んなものを撃ち抜いていた。発明だと思う。


星野 源 - 恋 【MUSIC VIDEO & 特典DVD予告編】


・BUMPの紅白出場は2016年から1日はみ出して一昨年のことだし、こちらもヒットとは違うのだけど。2015年の大晦日、私は COUNTDOWN JAPAN の会場・幕張メッセに居て、BUMP がそこからの中継で紅白に出場するのを見届けた。幕張に居た数万人と、テレビの向こうにはさらにどれだけの人が居たのだろう。そこをキックオフに結成20周年イヤーに突入。バンド初のスタジアムツアー最終日・日産スタジアム公演は、私も7万人のなかの一人だった。このあとBUMPの話はフェイドアウトさせるけど、「より多くの人と同じ音楽を聴いていた」という昨年の私の実感のなかのひとつだった。


BUMP OF CHICKEN「GO」LIVE MV from BD/DVD「STADIUM TOUR 2016 "BFLY" NISSAN STADIUM 2016/7/16, 17」


一昨年のBUMPも含めて、紅白の舞台でこの4組に共通していたことがある。各々の一曲が、ほぼカットされることなくフルサイズで演奏されたことだ。今回の紅白を観ていて、私はその点にすごく込み上げてくるものがあって。それには少し前段階があったのだけど。

昨年末のFNS歌謡祭、星野源はテレビ初披露&初弾き語りで「くせのうた」を、その後にハンドマイクで「恋」を演奏した。翌週のラジオ番組・オールナイトニッポンにて源さんがその選曲の裏話をしていて。音楽番組は基本的に「これを歌って」と番組サイドから要望があるものだけど、今回のFNS歌謡祭は「好きなの歌って」と言ってくれたのだという。
その週末、続いてMステスーパーライブに出演した源さん。曲はもちろん「恋」だったのだけど、ここにきて、地上波の音楽番組で初めてそれが一曲ほぼノーカットで披露された。これ、本当に驚いた。2番が始まった瞬間にテレビの前で「うわっ」と声が出たくらい(2番をテレビを通して聴けるなんて思っていなかった私には感涙くらいの出来事だった。ドラマの中でも流れない箇所だし、YouTubeにアップされている公式MVですら特典映像の裏になっちゃってるんだから笑)。

これを観た時に、一曲分最後まで歌い切れる尺をもらえることも、選曲の権利をもらえるのと同じくらい異例なことなんじゃないかと思ったのだ、おそらくだけれど。地上波の音楽番組(ゴールデンに特番として放送したりスペシャルを打ってくるような番組というか)はいま、アーティスト同士のコラボだとかメドレーだとかが見せ方の主流で、ただ歌うなら尺を短くという方向性が一般的になっている。そうやって音楽を使って番組を作っているテレビが、そんな中でも番組を使って音楽を伝えようとすることだって、ちゃんとあるのだと思った。番組サイドの歩み寄りだなと。そしてそれは、もちろん楽曲の話題性ありきだとは思うのだけど、それに劣らない意味とか価値とかをその音楽自体がちゃんと持っていて、聴けばそれが確かに感じられることや、それを歌うアーティストのスタンスとか矜持みたいなものがあってこそ、得られる権利なんじゃないかなと。

そして紅白。椎名林檎RADWIMPS星野源と観終わって(それ以外ももちろん観ていた)、自分の心の深いところにずいぶん前から居続けてくれたこれらの音楽たちを、それぞれの一曲の最後までしっかりと聴けたことの驚きと嬉しさったら。自分が好きでいたものが社会現象と言えるぐらいに広く認められることって、自分のことではないのにそうであるかのように、こんなにも嬉しいことなのか。そんな気持ちと一緒に、一曲フルコーラスで歌い切れる時間をもらえるって、ただブームだからってだけではなくて、その歌が最初から最後までかけて伝えるものにしっかりと価値があって、別メディアへの単なる付属物に止まらず、その物語の中枢を担うぐらい歌そのものに力が宿っていて、それがちゃんと伝わり認められたということなのではないかと、私には思えて。そういう感慨があったのだ、2016年末の紅白には。少し、自分が信じてきた音楽への贔屓目はあるかも知れないけれど。

2016年は音楽に世を渡っていく力がちゃんとあって、というか、それを覚悟した音楽がたくさん鳴っていて、それが世間的にもしっかり受け入れられた1年だったと思う。タイアップが取れれば音楽も勝手に売れるような時代はとっくに過ぎたし、今や音楽だけで勝負するなんてとても難易度が高くて、関わる人も方法論としても色んな要素を戦略的に練り込んでいかなければならない時代だけれど。それでも、タイアップ(しかり、林檎さんのように手腕を発揮すべき大役を引き受けることもしかり)のような機会があった際には、音楽で相手方の本質を射抜くような真摯なクリエイションが出来れば、かつそこにアーティスト自身の意志や表現も置き去りにすることなくちゃんと織り込むことができれば、まだまだ世の中に大波は起こせるし、そうして広まったものからは、原動力としての音楽にもちゃんと気付いてもらえる。音楽自体も面白がってもらえる。それはこれからの音楽にとってはとても明るいことなんじゃないかと、紅白を観ながら思っていた。テレビ越しに鳴っていた音楽に、ちゃんと人を振り向かせる力があることを感じて、その音楽・アーティストたちを、それまでだってずっと信じてきてよかった、と思えた年の瀬だった。

・・・

2017年の音楽たちにも期待しています。だから記事タイトルは、「歌番組の常識とかヒットチャートとか、“世の中の当たり前”を覆していってね、音楽たち!」の気持ちを込めて、「恋」から1番好きな一節を引用させてもらいました。今年もたくさんの音楽に出会いたい。



 

BUMP OF CHICKEN 『COSMONAUT』 を振り返る


< 今もいつか過去になって 取り戻せなくなるから / それが未来の 今のうちに ちゃんと取り戻しておきたいから >(「宇宙飛行士への手紙」)
とか、
< 言葉より声を 声より唄を 唄から心を 心の言葉を >
< あなたに声を 声より唄を 唄から心を 心にあなたを >(「angel fall」)
とか。
単語をすり替えてぐるっと一周して、だけども文意を破綻させずに真理をつく、みたいな言葉の使い方が好きだ。言葉で時空間を縦横無尽に駆けて現在地に戻ってくる「R.I.P.」とか、悲しみも喜びも同じ感情としてイコールで結ぶことから始めてあの最後に帰着する「HAPPY」とか。一節じゃなくて一曲をかけて言葉で遊ぶ曲もある。

『COSMONAUT』の頃のインタビューは、リズム遊びについて言及されていることが多かった気がするけれど、一曲の完成までにリズムや音をどうやって組み立てるかを考えるのと同じぐらい、何かひとつのことを言うために言葉をどうやって組み立てたり運んだりするか、みたいなことも練っていた時期なのかなと思う。バンプはいつもそうだと思うので別にこのアルバムに限った話ではないのだけれど、特にこの時期は音と言葉の絡まりが際立っている気がする。


今年になって雑誌「B=PASS」の連載で、『COSMONAUT』のオープニング「三ツ星カルテット」に、音と歌詞にまつわるちょっとした秘密があったことが明かされていた。音楽的な仕掛けがあるんだよと。「気付いてもらいたかった」気持ちがあったよ、なんてことが書かれていた。< 世界は大概素晴らしいらしい > と歌う部分。

「らしいらしい」の語感が面白いなぁくらいにしか思っていなかった私はそれまで全く気付けなかったけれど、読んで聴き直してすぐに気が付いた。すぐに解るぐらいの本当にちょっとした仕掛けというか遊び心だったのだけど、そのあとに続く歌詞 < 夜に色が付くまでに 秘密の唄を歌おう > や < 僕らはずっと呼び合って 音符という記号になった > の意味が膨らんだ気がして、それはもう、それはそれはあったかい気持ちになっちゃったりして。「気付いてもらいたかった」気持ちを守るという理由で答えが書かれていなかったので、おそらくこの先も、「秘密の唄」のままなのかも。

「うた」における音と言葉は持ちつ持たれつ、絡まって補い合って何倍にも響くもので、だからこのバンドは言葉だけでも音楽だけでもなくて、唄を歌うことを選んだのだなと思うことが、たくさんある。


BUMP OF CHICKEN『COSMONAUT』(2010)

1.三ツ星カルテット
2.R.I.P.
3.ウェザーリポート
4.分別奮闘記
5.モーターサイクル
6.透明飛行船
7.魔法の料理~君から君へ~
8.HAPPY
9.66号線
10.セントエルモの火
11.angel fall
12.宇宙飛行士への手紙
13.イノセント
14.beautiful glider

 

 

BUMP OF CHICKEN 「Butterfly」



BUMP OF CHICKEN「Butterfly」


誰にも聞こえないと思っている悲鳴を、実は誰だって抱えているのだということ。だけど、自分のそれがいかに大切で綺麗なものであるか理解し切れるのは、自分自身だけだということ。
だから<量産型>って、「あなただけじゃないけど、あなただけなんだよ」みたいな意味だと私は勝手に思っている。自分の口から出る皮肉や自虐も受け入れて、そのあとの「でもね」もしくは「ならば」を歌う唄。

変わらないまま変わろうとすることは本当に難しいけど、そうあってほしい。
同時に、彼らの歌は、童謡のように歌われ聴き継がれていくものであってほしい。

歌を届けようとするこのバンドの音楽と、それに付随する諸々は、多くに望まれたほうではなくて、彼ら自身の望むままに鳴らされ、選ばれていれば、きっとずっと残っていく。大丈夫だと思う。


だからどうか、「今」を追いかけ続けていて。
あんまり「今」に、飲み込まれないでいて。