あることないこと

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方舟のなかで

7/12・13とBUMP OF CHICKENのツアー「aurora ark」開幕公演@埼玉メットライフドームに行ってきました。そのネタバレをやや含みますがライブレポではありません。そこで感じた「怖さ」についての投げかけのようなものです。
この投げかけに正解も不正解もきっとないので、どうしたものか迷っていましたが、やっぱりもう放っておけない気持ちのほうが強いので、ピークだなと思ったこのタイミングで書きます。

 

 

バンプがドームやスタジアム規模のライブをするようになったあたりから、演奏中の客席の景色に、無視できないほどの違和感を覚えるようになった。
どこを見渡してもほとんどの人が、いわゆる「1拍と3拍で」手を縦に振っている。少しダウンテンポな曲になれば、今度は1・3で手を横に振り始める。楽曲によってはメンバーが手振りを煽ることもあるし、手拍子を揃えたら楽しい曲もある。でも、それ以外の曲でもずっとみんな同じ動きをしているのだ。さらには、1・3の効力が弱まるアップテンポな曲(今回の公演で言えば「月虹」や「アリア」、「シリウス」が顕著だった)では、あっと言う間に客席の動きが止まる。驚くほど一様に。

 

音楽でもメンバーでも演出でもない、別の何か大きな「空気」みたいなものに統率されているようなその景色が、私は怖い。今回は特に、あれほどの人数を前にしながらあれほどまでに4人が自由に楽しそうに、かつ相変わらずひとりひとりに真摯に音楽を届けようとしてくれているのに、客席には同じだけの自由さや誰をも受け入れてくれるような空気が、正直ほとんどないと言ってもいいと思う。何かを弾いてしまうような世界が、おそらくあまり気付かれず意図もされずに、でも確かに存在している。

 

大多数の感動や楽しみ方を奪いたいわけでは決してないし、それが多くの日本人にとって音楽にノリやすいリズムであるだけなのは承知だ。でも、例えばそれを、みんなが同じようにリズムを取ることこそを「一体感」として良しとしている人がいるのならば、それは違うのではないかと思う。一体感は音楽に導かれて自然発生的に生まれるものであって、それを意図的に作り出そうとすることがライブの目的では決してない。

例えば「アリア」のイントロでステンドグラスが出現した時や、前振りなしに「新世界」が始まった瞬間のあの歓声。「流れ星の正体」最後の歌声が途切れて「ありがとう」までの、息を飲む1秒間。そういうところにふっと宿るものなのではないか。「みんなで一緒になろう!」ではなくて、ばらばらな何万人が期せずして心を通わせたような一瞬に。
私が思う一体感とはそういうものだ。音楽や演出が、ひとりひとりの、違う人間たちの気持ちを束ねる瞬間。

 

これは、「みんなと一緒はイヤ」みたいな反抗心では全くない。「新世界」で手拍子することや「supernova」での大合唱だって大好きで。でもそれは音楽が、曲そのものが明らかにそれを求めていると思うから参加したいと思うし好きなのだ。それ以外の、先述の「空気」のようなもので強要されることに疑問があるだけで。

私は好きに踊りながらも(自分の体が反応した時以外は)周りと同じように手を振ったりは出来ず、2日目に一緒に行った友達も同じ空気や恐怖を感じて、着席して観ていたらしい。チケットはお互い別々に取っていたから席はアリーナとスタンドで離れていて、だけど似たような気持ちで同じ現象に目を瞑っていた。

 

最初に書いたけれど、私はあの空気に怖さや疑問を感じていて、ではそれを解消するために答えがあるのかというと、きっと正解も不正解もないのだ。人それぞれの楽しみ方があり、音楽の受け取り方があって、各々が各々の楽しみ方をしているという状況があるだけで。

でも、似たような違和感を持っている人がもし居るのならば、その人には届いてほしいとも思っている。周りと一緒になれなくていいと思う。自分の楽しみ方でいい。もっと踊っていいし、はしゃいでもいいし(他人の迷惑になるならダメだけど)、泣いてもいいし、歌っても歌わなくてもいいし、じっと耳を澄ましていてもいい。立ってても座っててもいい。自分の音楽の受け止め方があって、そこに不正解はないと思う。それをぜんぶ許してくれる空気が生まれないかなと思っているのだ。

 

だってみんなバンプが好きでライブに来ているのでしょう?みんなで同じ音楽のもとに集まっていても、鏡みたいに自分自身を映して歌を聴くでしょう?そうやって聴けるように、せっかくひとりひとりに向き合ってくれるバンドなんだもの。もっと自分の体と心で受け止めて、自分のリズムで聴いたって構わないと思う。

 

誰に、どこに投げかけているのか自分でもよく分からないし、逆に、別にそんなこと自分が気にしなければいいだけということは分かっているのだ。「good friends」のあれです。“だけど自分が無いから 誰かが気になっちゃって仕方ない”。
でも、あの空気が今よりさらに濃くなって、せっかく自分の中に自分だけの音楽を持っている人が排除される世界が出来上がってしまっては嫌だなと思ったから。こんな面倒くさい話が誰に届くものかと思いつつ、気付いてくれる人がいないかなと願っていたりもする。

 

 

蛇足でも書いておきたいのは、私と友達のように周りに目が行きがちになってしまうような耳にも、バンプの音楽はちゃんと飛び込んできてくれることだ。「空気」への怖さの話もしたけれど、それで残念だったねと腐れてしまうことはなく、あの曲が最高だった、少し泣いた、MCがどうだった、みたいな話をしながら帰ってくることができた。自分の意識や心のある一部には蓋をしていたけれど、そんなことは二の次にしてくれる、もっと深い所に手を伸ばしてくれる音楽が確かに鳴っていた。
音楽は「空気」に負けていない。あとは私自身がそういうものに囚われず、自分の楽しみ方を自分で許していこうと思う。